地域発信委員会ブログ

「昭和」の徳島を探訪

2018/11/28


こんにちは!

 

今日は、例会当日あまりご説明できなかった「徳島及び小松島の鳥観図」を説明していきたいと思います。


徳島及小松島を中心とする鳥瞰図


画像
の大きさの関係で少しカットしていますが上の鳥観図が昭和6年頃の徳島及び小松島を中心とした鳥観図です。(徳島県立文書館蔵)

 

画像中央の黒に白文字で書かれているところが徳島駅です。

 

そこから少し上のほうを見ていただくと大きな川が流れています。これが吉野川です。

そこにかかっているトラス式の橋、これは吉野川橋です。

ここに描かれている橋と現在の吉野川橋は同じ物です。

昭和3年12月 開通式 (2)

この写真は昭和3年12月に行われた吉野川橋の開通式の写真です。(徳島県立文書館蔵)

当時は日本一を越えて、東洋一の長さを誇っていました。ここからも徳島の隆盛が伺えしれます。

 

また鳥観図の中央から左のほうを見ていただくと、山沿いに寺社仏閣、三重塔が見えますが、これは当時の寺町、大滝山を描いています。

 

寺町や大滝山の石垣群は元は戦国時代後期、蜂須賀家政候が徳島に入り、徳島城及び城下建設の際に、各地にあった寺社仏閣を現在の寺町や大滝山に集められ、形成されました。当時は徳島城及び眉山防衛のために兵の集結場所という軍事的な意味合いをもっていました。

 

時が下るにつれて、軍事的な意味合いはうすれ、大滝山には1700年代には三重塔ができたり、料亭ができたりして、徳島の一大行楽地として大変栄えました。

昭和初期s初期当時の大滝山と三重塔の写真です。(徳島県立文書館蔵)

 

これらはすべて(これらというよりも徳島市中心部にあった歴史的な大変価値のある建物のそのほとんど)は

1945年に戦災により焼失してしまいます。しかしながら、こういった写真からも当時の徳島の力を知ることができるのではないでしょうか?

 

平成ももう終わろうとしていますが、我々が生まれた元号と同じ「昭和」の徳島は本当に栄えていました。

その輝きをもう一度取り戻すためには、徳島をもっと知り、徳島に対して愛情と誇りをもつことが重要だと思います。

このブログでも、少しでもその一助となれば幸いです。

徳島青年会議所