理事長メッセージ

所信

5年半続いた小泉政権から安倍晋三首相へとバトンタッチした2006年度、私は入会いたしました。当初は、右も左も分からず、周囲の言われるままに動き回り、ほどほどに参加して、適度に手伝い、それなりのJC活動をすればいい、そんな甘い考えをもっていました。そんな折、2007年度理事長セクレタリーとして、理事長の行動を目の当りにする素晴らしい機会を頂きました。徳島青年会議所を牽引する理事長は、私が想像していた以上に謙虚で、その人一倍思いやりを持った振る舞いに、私は感銘を受けました。しかし、青年会議所運動の真なる姿を理解したとはいえず、自分中心の思考に囚われたものでした。

そして、年を経る度に、行動を共にする先輩方の「気概、情熱」、シニアの先輩方が築いて来られた「実績、偉業」に触れる機会に恵まれました。明るい豊かな社会の実現に向けて、切磋琢磨して幾度もの議論を交わし、仕事の合間を縫って行政団体と折衝を積み重ねてゆく行動力に、私は打ちのめされそうになりました。いつからか、私もまた先輩の歩んできた道を歩き、その背中を追いかけて来たように思います。入会以来、先輩方と交えてきた時間は、私自身のかけがえのない人生の糧となっているのです。

今、私には考えさせられる事があります。これまで青年会議所運動を全うするに当たり、激論がありました。ぶつかり合う事も多々ありました。なぜ喧嘩をしないといけないのか。耳に痛いことを言われなければいけないのか、理不尽な想いに蝕まれていた時期もありました。私事ではありますが、2011年8月に母を亡くしました。58歳です。前日の夕方には普段通り会話していた母が、翌日に帰らぬ人となりました。非情です。あっけないです。私は何が何だか分からず、どうしたらいいのか分かりません。そんな時、青年会議所メンバーや恩師・同僚・友人に暖かい言葉を頂き、思い知りました。自分は1人じゃない、人間ひとりは寂しい、私は家族や周りの人を幸せにしたい。人がいつどうなるのか分からない世の中で、今この一瞬を精一杯、悔いのないように生き抜くと決心しました。そこで、やっと気づくことが出来ました。全てはその目標である「明るい豊かな社会」の実現に向けてとった極めて真剣な行動である、ということを。 徳島青年会議所メンバーはこの地域を愛し、人との絆を信頼し、自らを磨き上げ、これからの徳島を創る仲間です。青年経済人としての知恵と知識と経験を、全メンバーが熱き心で醸成させ、地域の明るい未来の実現に向けて昇華させていく所存です。徳島青年会議所理事長として、本年度もまた新しいゴールを目指して、精一杯邁進してまいります。

徳島青年会議所 理事長
藤井 裕久

遡ること100年前(1915年)、自由な社会と経済発展の実現と、新しい社会をリードするにふさわしい人材育成を目的として、アメリカ・ミズーリ州セントルイスの青年活動グループから始まった運動が、JCでした。その運動はアメリカ社会に広く伝播し、有力な青年団体へと発展していきます。そして、1944年には「積極的な変革を創り出すのに必要な指導者としての力量、社会的責任、友情を培う機会を若い人々に提供することにより、地球社会の進歩発展に資すること」を使命に、アメリカ、コスタリカ、エルサルバドル、グァテマラ、ホンジュラス、メキシコ、ニカラグア、パナマの8か国によって国際青年会議所(JCI)が発足されたのです。

日本では1949年、戦後の荒廃したまちを目の前にして「新日本の再建は我々青年の仕事である」という使命感から48名の青年達により、東京で青年会議所が立ち上がりました。将来の日本を想う青年の輪は全国で拡大し、その社会活動は経済の発展と歩調を合わすように多大な影響を与えるようになっていきます。そして、日本JCも1951年にはJCIに加盟し、JCI第2位の国家青年会議所として存在感を増していきました。

1957年、全国123番目の青年会議所として徳島青年会議所は誕生し、郷土徳島の「まちづくり」「ひとづくり」のために多くの青年達が尽力し続けてきました。「修練・奉仕・友情」、その三信条は青年会議所の信念として脈々と受け継がれ、現在の我々がいます。

社会環境はめまぐるしく変わり続けていますが、惑わされることなく、現実をありのまま直視し、地に足をつけ一歩ずつ歩みを進めて行かなければなりません。先人達の志をしっかりと引き継ぎ、かつ時代に合った変革に挑戦しつつベストを尽くし、徳島の明るい未来の実現に向けて力強く活動していきます。

2020年、東京オリンピックの開催が決定しました。安倍政権での経済政策はアベノミクスと言われ海外からの注目を浴びています。プロ野球では大リーグで田中将大選手が活躍し、サッカーの世界でも海外でプレーする日本人選手が増えました。また観光立国を目指して、訪日外国人が増加傾向を示し、日本文化の海外輸出も促進されクールジャパンとして人気を博しています。日本と海外との交流はますます広く、大きく繋がってきています。

ところで現在、徳島青年会議所の姉妹JCは社団法人千葉青年会議所です。姉妹JCそれぞれが目標に向かって行動し、地域の活性化、ひとの成長を培っているのは勿論、両者が情報交換することや活動について理解することにより、お互いが刺激を受けているように思います。それは姉妹JCの長きに渡る交流が、一定の成果を得ている証でもあります。

一方で、今の国際化の潮流の中で、国際青年会議所(JCI)を意識した活動も必要な時期が来たのではないでしょうか。これからは、我々青年経済人としても、国際的視野に立った考え方や知恵が問われる時代になってきます。徳島県では中国人観光客を多く呼び込み、四国八十八ヶ所を世界文化遺産に登録を目指すことに取り組んでいます。2013年度には大歩危・祖谷地区に訪れる外国人観光客も7割増と大幅に増えました。今後も海外の人々の流入を意識したまちづくり、海外に発信することを意識したまちづくりが、より一層大切になってきます。そのために、外国人の見方や考え方、国際感覚を理解することが、これからますます必要となることは明らかです。

私は、LOMの国際化推進の有効な手段として、シスターJC締結があると考えます。過去に徳島青年会議所は、1961年にサギノーJCとシスターJCの関係を結んでいます。全国でも4番目の締結で、先輩方は海外にも目を向けた先駆的な行動をすでに執っていたのです。ただ、その交流は完全に消滅しています。この度、我々もまたシスターJCを通して、「まちづくり、ひとづくり」に生かしていきたいと思います。それは早期の締結を目的にするのではなく、シスターJCを通してLOMメンバーの意識や感性を、よりグローバルな視点へと導くようにすべきと考えています。我々の青年会議所運動の一つの柱でもある、地球への貢献、地球市民意識を持った考えを進めていくべきでしょう。世界の中の日本、世界の中の徳島のあるべき姿を考えることこそが、これからの時代を生き抜き、将来に向けたまちづくりを行う上で大変重要となるのです。

今から15年後の2030年、子供たちが青年として社会で活躍しているはずです。その頃、社会はどのようなことになっているのでしょうか。徳島県の人口も現在の約75万人から約64万人に減少していると想定されています。そして、超高齢社会となっているのです。人口が少なくなり若者が減ると、生産人口の減少から経済の縮小も考えられます。

このような状況におかれながらも日本の文化、伝統を継承しつつ、なお必要なことは海外の財やマンパワー、サービスの流入や輸出といった交流でしょう。海外とのより活発な取引によって、停滞しがちな日本経済を動かさなければなりません。少子高齢化、人口減少社会においては、国内の消費、生産能力だけに頼ることはできず、世界を取り込んで行動することがより重要性を増していくと思います。

子供は地域の宝です。地域を支えていくためにも、その子供たちがどう育つか真剣に考えなければなりません。忙しい現代社会の中、親は子供と接する時間は作れているでしょうか。子供も塾や習い事から家に帰れば宿題をしてゲームに興じ、タブレットやスマホに夢中になって、自分1人の時間に閉じ籠ったまま社会に飛び込んでいくケースが多いように思います。

しかし、これからは子供たちがたくましく生き、国際社会でも通用するように成長させることこそが、我々の責務であると考えます。子供たちには貴重な「体験や経験」「共感や共有」をする大切さを学ぶことで、たくましく育ってほしい。仲間との時間を共有し、コミュニケーションを通じて、人は1人ではない、他者との関わりの中で生きていること、そして、互いに切磋琢磨をする素晴らしさを知ってほしいと思います。

ついには、外(海外)の世界を恐れない、世界の中の徳島を託せるように成長してほしいと願っています。県民人口が減少した徳島を支える力、増加した高齢者を支える力、世界に通用する実力を備えた青年となって徳島をリードする存在になることを期待します。

私はこの徳島に生まれて良かったと実感しています。眉山・水際公園・ひょうたん島・吉野川・県庁ヨットハーバー・・・自然とまちが調和した徳島のシンボルが県民に愛されているように思います。私たちはこのまちに愛着と誇りをもっています。実際に、全国や世界中の人々に自慢できる素晴らしいコンテンツを有しているのではないでしょうか。

しかし、いざ徳島駅に降り立ち、まちを散策してみると、駅前から眉山ロープーウェイ登り口までが少し寂しく感じます。観光客は、徳島の玄関口である徳島駅周辺を目にする機会が多いかと思います。そこで、私はこのシンボルロードを中心に、未来のロードを想定した賑わいづくりが出来るきっかけになればと考えます。

シンボルロードに活気ができること、人が集うこと、それはまちの力となり徳島の魅力が再認識されるとともに徳島のまちを気づく契機になります。全国の方々や世界中の人々が徳島を訪れて、眉山を背に様々な目的を持った老若男女が行き交い、活気付いた美しい町並みを目のあたりにするとします。すると、受けた感動は自ずと全国に世界に発信することになるでしょう。徳島の魅力を多くの人々に簡単に知ってもらうきっかけになります。クールジャパンではなくクールトクシマを意識すべきです。

高齢化した徳島が、日本の一地方都市として埋もれていくことに危機感を感じます。我々青年会議所のできることは何か、その責務を自問自答し、信念を持って積極的に行動できなければなりません。人や地域に求める前に、まず地域の一員である自らが問題点を認識し、現状を打開するため自らが率先して行動することが求められます。それこそが人々の共感を生み、地域と我々徳島青年会議所のより良い変化へと繋がるものだと信じています。我々の想いを実現するため、一歩を踏み出してまいります。

徳島青年会議所はその発足以来、順調に会員数を伸ばし、最盛期には200余人ものメンバー数をほこり、1998年には全国大会をも成功させました。しかし、近年は日本経済の長期的な停滞、卒業生の増加等の理由から会員数は減少傾向となっています。そこで、数年前からは会員拡大運動を重点的に取り組んでおり、昨年度は36名もの新しい仲間が入会しました。

会員拡大活動に取り組むことにあたり、会員一人ひとりの資質の向上なくして青年会議所活動は語れません。自分自身の言動に矛盾はありませんか。職場や家庭においても、自信を持ってJC活動を語っていますか。時間の進行は早く、かつ有限であることを自覚し、家族の理解があること、身の周りの方々に支えられていることに気づき、感謝しなければなりません。

また、JCの創始者のひとり、セントルイスの若き銀行員ギッセンバイヤは「社会において青年が真に活躍するようになるべきだ」と考えていました。我々青年が活躍できる場が、ここ徳島青年会議所に用意されています。この組織を自分自身に有益となるよう利用すべきであり、何も自分に還元されぬまま無駄に終えるのは、もったいないです。

仲間づくりは、決して安易な友達づくりではありません。地域のために行動する時間、諸問題に取り組む時間を共有することで、仲間としての友情が育まれます。会員一人ひとりが自分自身の発言や行動に責任を持つとともに、徳島青年会議所の運動、活動に誇りを持つことで、我々の存在が多方面に認められ、また評価されるのです。そのためにも、共に活躍する仲間を絶えず増やしていくように勇往邁進して参ります。

私は人生のゴールとは何か考える時があります。日々の生活で目標を持って行動すること、例えば徒競走で一番になる、勉強で一番になる、お金持ちになる、社長になる、人それぞれ様々な目標があることでしょう。そして、それを達成することは大切なことだと思います。目標を成し遂げることにより、充実感、達成感を得ることができ、それは自分自身の幸せになり、さらに家族や周りの人も幸せを伝播させるのです。

しかし、私は目標を達成してからの行動、活動がより重要だと考えます。それで満足するのではなく、そこからもう一歩を踏み出すこと、より大きな目標を掲げること。それによって、家族や職場の幸せ、さらには徳島といった地域から日本、世界へと明るい未来の伝播が一層広がっていきます。

今、徳島青年会議所に所属している私は、この組織がもたらしてくれる機会を最大限有効利用して、一メンバーとしての責務を果たします。未来を見据えて、今ある姿をより良く前向きに前進させ、徳島を創造していく手助けになりたいと思います。そのためには、他団体との交渉もあるでしょう。メンバー間で議論を積み重ね、激論となることもあるでしょう。すべては、「明るい豊かな社会の実現」に向けて真剣に行動した過程のものです。苦にはなりません。

志高き仲間と共に、地域・子供達を愛して、しっかりと足並みを揃えて活動していきます。それは、我々徳島青年会議所メンバーが、徳島をリードしていく「気概、情熱」を持って行動することが前提です。JC(Junior Chamber)の由来となったのは、若い市民(Junior Citizens)が社会をリードし真に活躍するようになるべきとの考えでした。私自身も脈々と連なるその使命と重要性を改めて自覚し、我が地域の将来のため、一年間邁進してまいります。

徳島青年会議所